いしまるあきこ

建てたがらない建築士 いしまるあきこ Webサイト



ishimaruakiko-shiroいしまるあきこ
「いしまるあきこ一級建築士事務所」主宰。
古い建築が好きなので、「建てたがらない建築士」です。1978年生まれ。建築を身近に感じ、好きになってもらえたらと、建築事務所勤務の後にご縁があった様々な仕事経験(ラジオ・テレビ番組企画・制作、アーティストマネージメントなど)を活かし、繕い(=手入れ、自ら改修)・執筆・企画を通じて古い建築の活用・提案をしています。
愛猫5匹と暮らしながら、猫が楽しく暮らせる賃貸住宅「ねこのいえ」を繕いながら、少しずつ増やしています。また、飼い主である女性自身にも取り組める「猫のためのセルフリノベ」を広めています。中銀カプセルタワービル(1972年竣工、黒川紀章氏設計)内の1カプセルを同時にいないカプセル・シェアオフィスにして、「名建築を公平に使いつつ維持する仕組み」を実践中。
写真:「Re1920記憶」in 石巻にて。東京から、しろちゃんら3匹の猫も参加。撮影:蔵プロダクション

 

■ いま

 

■ いまから

 

2018年
    • 05月 執筆 某連載が書籍化予定。
2017年
■ いままで

 

2017年

 

2016年

 

2015年

 

2014年
2013年

 

2012年

 

2011年
    • 12月〜 委員会 一般社団法人HEAD研究会 フロンティアTF副委員長
    • 10月  トーク 「アートと建築の関わり」(東京 企画・対談:写真家・所幸則氏)
    • 06月  建築・監修 川口の集合住宅 色彩デザイン
    • 06月〜 建築 青木茂氏「リファイニング建築塾」に塾生として参加[2012年4月まで]
    • 04月〜 建築・設計 草津温泉「御座之湯」K計画事務所にて(群馬県)
    • 04月  映像 『Mathmusic』「e(自然対数)」「trigonometric function(三角関数)」「π(円周率)」清史弘オリジナルピアノ曲(撮影・編集)
    • 04月  東京都渋谷区千駄ヶ谷へ引越。8回目の引越。
    • 03月  建築 「リノベーションシンポジウム北九州」フィールドワーク+シンポジウム参加
    • 03月  トーク&ライブ 「和」(東京 出演:かりん×はせみきた×茂木雅世(日本茶アーティスト)×いしまるあきこ)
    • 02月〜 マネージメント 「かりん×はせみきたライブ2011」(東京・福島・茨城・福井・石川・長野・山梨・静岡)[3.11を含む]12箇所
    • 02月〜 『いしまるあきこ一級建築士事務所』スタート
2010年
    • 10月  マネージメント「かりん&トリオ」コンサート&ワークショップ 東南アジア
    • 09月〜 マネージメント 清史弘(数学教育者・作曲家・音楽家)[2011年07月まで]
    • 08月  建築 「東鳴子温泉セカンドオフィス開き」(構想実現アドバイザー 企画:アサダワタル氏)
    • 04月  映像 「I家-M家 結婚式用映像」(12分 企画・撮影・編集)
    • 02月  映像 「green tour to Sapporo city 〜雪のまち札幌〜」(5分 企画・撮影・編集 BS-TBSで放映)
    • 02月〜 ラジオ 名古屋ZIPFM「Morning Charge」内「GLOBAL MARKET TREND」[2010年04月まで]
    • 04月  Web 「華蓮」公式サイト ディレクション
    • 〜01月 写真 ブログ「いしまるあきこのめ」(写真+文の連想記憶写真)

 

2009年

 

2008年

 

2007年
    • 12月  Web 「おととあそぶ」 イーエーユー株式会社ウェブサイト内 ディレクション
    • 12月  マネージメント Psalm[玉井夕海(うた)×かりん(25絃箏・うた)]全国ツアー報告ライブ(東京)
    • 10月  展示 「まちいろぶらブラー」in 大阪・からほりまちアート(共催企画)
    • 08月〜 マネージメント・写真 Psalm[玉井夕海(うた)×かりん(25絃箏・うた)]全国ツアー(北海道〜九州30箇所)[ツアーは10月まで]
    • 01月  広報 映画『もんしぇん』

 

2006年
    • 09月〜 建築・改修設計・監理 「三鷹・K邸」アーキテクチャー・ラボと共同設計 築120年の古民家改修[2007年4月まで]
    • 09月  建築・会場構成 映画『もんしぇん』の世界展 谷中・間間間
    • 06月  旅 サッカーワールドカップ ドイツ大会 2試合観戦。ドイツとデンマークを巡るひとり旅。リノベーションや福祉系建築を見に行く。
    • 03月〜 個人事業主『いしまるあきこ』スタート[2011年02月まで]
    • 02月  展示 「同潤会記憶アパートメント」Vol.5 開催 @表参道ヒルズ

 

2005年
    • 12月  K計画事務所 退職(建築設計事務所)
    • 03月  建築・会場構成 平成16年度 文化庁メディア芸術祭 出展作品『NEtROBOt』
    • 01月〜 建築・設計・監理 「ViNA Plus」(神奈川県・海老名市)K計画事務所[10月竣工]

 

2004年
    • 12月  一級建築士 合格
    • 11月  賞・WS 「カナザワイロコトバ」某市アーティスト指名非公開コンペ2位(WS形式の市民との壁画制作プロジェクト 渡邊英徳氏と共作)
    • 10月〜 建築・設計 「玉村豊男ライフアートミュージアム+アクアパッツアテラス」(神奈川県・箱根)K計画事務所[2005年12月まで]
    • 08月  賞・展示 「KIOKU-CAN」 @表参道ヒルズ建設中の仮囲い(ASAHI SUPER DRY ART2004優秀賞 渡邊英徳氏と共作)
    • 08月  写真・CG 「素材辞典」[No.147CGポップ&スイート編]に素材提供(渡邊英徳氏と共作)
    • 03月  写真・CG 「素材辞典」[No.138CG光・スピード編]に素材提供(渡邊英徳氏と共作)

 

2003年
    • 12月  建築・設計(基本案) 東京の個人住宅、千葉の集合住宅 アーキテクチャー・ラボにて
    • 11月  展示 「同潤会記憶アパートメント」Vol.4 同潤会Café night ~記憶をあじわう~  @同潤会跡地隣のカフェ
    • 06月  その他 東京都港区南麻布へ引越。6回目。
    • 04月  展示 「同潤会記憶アパートメント」Vol.3 〜KIOKU夢どうり426〜開催 @同潤会青山アパートメント「夢どうり」
    • 04月〜 建築・設計補助 「アスナル金山」(愛知県・名古屋市)K計画事務所 [2005年03月竣工]
    • 04月  写真 書籍『ロジック / ヴィジュエル:ルイ・ヴィトンの建築』の建築家・青木淳さんのページに同潤会青山アパートメントの写真提供
    • 04月  K計画事務所 入社(建築設計事務所)
    • 03月  東京理科大学大学院 理工学研究科 建築学専攻 修了
    • 03月  展示 「同潤会記憶アパートメント」Vol.2 開催 @同潤会青山アパートメント「夢どうり」
    • 02月  建築・修士設計 『同潤会記憶アパートメント 〜記憶保存の手法〜』発表

2002年

    • 10月  旅 ヨーロッパを電車でまわる建築見学の旅。フランス→ドイツ→オランダ→スイス→フランスの二人旅。
    • 09月  展示 「同潤会記憶アパートメント」開催 @同潤会青山アパートメント「夢どうり」。ここから10年間で7回を主宰として開催する。
    • 06月  旅 サッカーワールドカップ日韓共同開催で、ソウルの開幕戦を含めて宮城・茨城・埼玉・大阪2回・大分で7試合を生観戦。他はテレビ観戦。
2001年
    • 11月  二級建築士 合格。
    • 09月  賞・建築 日本建築学会・設計競技「LCCO2の30%削減、耐用年数3倍延伸(100年寿命)をめざす建築設計」最優秀賞
      「PORUS/AIR WARAPPING-気候適応・可変ポーラスによる環境負荷削減型高密度居住区モデル」(小嶋一浩+東京理科大学小嶋研究室+東京大学曲渕研究室)
    • 07月  建築・調査 ベトナム・ハノイ現地調査。街並み保存地区の36通り地区のヒアリングを担当し、使用している居住者の方へインタビューを行った。帰りには飛行機のボイコットがあり、タイ・バンコク経由で帰ることに。
    • 05月〜 「神楽坂建築塾」に入塾。故 鈴木喜一先生や当時スタッフだった渡邉義孝さん(風組・渡邉設計室)らと出会う。古民家再生や文化財保護などとても濃い保存系の方達の動きを学ぶが、自身の置かれている状況とあまりにも違う世界にかなりとまどう。大学院生1年生の課題「Architecture Museum」を卒業制作として提出。マグカップから都市まで同じように、スケールを変えつつ、まちなみやまちの活用について考えていた。[2002年03月まで]
    • 05月  旅 シンガポールとタイ・バンコクへ。タイで懐かしい人々に再会した後、日本建築学会のタイでの研究会に突然参加する。水上の住まいなどを一緒に見させて頂く。シンガポールで友人の結婚式に出席し、華僑らしい円卓での中華料理や親族の少年のカンフーや歌謡曲がある結婚式が印象深い。
    • 04月〜 当時、学部違いの授業を受けられる制度を利用し、東京理科大学大学院工学研究科で教えていた大月敏雄先生(現在、東京大学 教授)の授業に通えることに。「同潤会」の授業を期待していたが内容としては「スラムクリアランス」等の授業だった。世界のスラムやその対策などを大月先生だけではなく国際的に活動されている方々から学ぶ。社会人学生の授業に臨む真剣な態度や、先生側も授業をきっちり90分行う様に、学部間の違いにまず驚く。
    • 04月  修士1年生。ハノイプロジェクトで、東京大学生産技術研究所へ通うことに。
    • 04月  東京理科大学大学院 理工学研究科 建築学専攻 入学
    • 03月  東京理科大学 理工学部 建築学科 卒業
    • 03月  旅 卒業旅行ではロンドン・ローマ・パリをまわる。
    • 02月  卒業設計は『W-area』という、東京都台東区の廃校予定の小学校のリノベーション・コンバージョン。周辺のお年寄りはそこに設ける趣味のスペースに集まるために歩き、さらに増築した回廊をたくさん歩くことで健康を維持し、そこに若者向け住居と保育園を併設することで、多世代の交流を生み出せるような場を提案した。一次審査のコメント欄には、審査を担当する建築家や担当教員から複数の好評価を頂いたにも関わらず、最終プレゼンには出場できず。当時の時代性や理科大らしさとはずれていたなと今では思う。

 

2000年
    • 12月  中学・高校時代の友人の紹介で六本木の花屋「フローラ六本木」でアルバイトを始める。花束やアレンジメントを作ったり、様々な外資系企業や六本木のホステスさんや芸能事務所等へ配達をして、六本木界隈やいろいろな場所を知る。花屋はクリスマス・母の日・年度末などが忙しい。今でも、時々、訪ねて挨拶などしている。なぜか、1920年代のピアノが置いてあるので、ここでライブを企画したいなと思っていたが、2015年にとうとう閉店。
    • 12月  映画『パリの確率』を観て衝撃を受ける。以後、単館上映やドキュメンタリー映画を中心に、映画を映画館でたくさん観るようになる。誘ってくれたのは幼稚園の時の同級生。
    • 10月  カトリック信者の母と共に、ミレニアムのイタリア・ローマへ。ローマ法王の目の前、前から二列目で一般謁見に参加する。サンピエトロ広場を埋め尽くす10万人の信者たちに圧倒される。他にツアーを同行したのは長崎などの大変熱心な信者さんたち。各教会で同行する神父様と共に特別に御ミサが開かれる特別なツアー。
    • 04月〜 建築・調査+設計 ベトナム ハノイ「スペースブロックハノイモデル」東京理科大学 小嶋研究室に所属。[2002年03月まで]
    • 04月  学部4年生。この頃から、課題の中ですら何か建物を壊して自身の作品を提案することができなくなる。前期の自由課題は『pd』という、駐車場をアートの場に転換し、まちを回遊したくなる提案をする。指導教員は田口知子先生(田口知子建築設計事務所)。講評では、建築家の妹島和世氏やマーク・ダイサム氏などから割と好評価を頂く。
1999年
    • 12月〜 DO+に参加。同潤会青山アパートメントの保存活動について考え動き始める。その後、DO+は抜ける。
    • 04月〜 学部3年生。設計の課題を谷内田章夫先生(谷内田章夫ワークショップ)や新居千秋先生(新居千秋都市建築設計)らに教えて頂く。
    • 02月  旅 フランス・パリへ行く。
1998年
    • 08月〜 大学では友人に数学を教えるなどしていたこともあり、家庭教師を開始。ふたり教えたうちのひとりの教え子は母校の女子中学校を目指してくれたが、残念ながら入ることはできず。生徒から親しまれ仲良くなりすぎても勉強に集中できないということを知り、子どもとの付き合い方・さじ加減の難しさを思い知る。以後、家庭教師はやめる。
    • 04月〜 学部2年生。設計の課題を田辺芳生先生(PRIME)や奥田宗幸先生(元 東京理科大学 教授)らに教えて頂く。
    • 02月  高安重一先生(アーキテクチャー・ラボ)や当時助手の佐久間達也さん(佐久間達也空間計画所)の「海上ばなな」(SDレビュー賞受賞)展示用模型制作を手伝う
1997年
    • 10月  学園祭と同時に開催されていた建築系ワークショップに参加。小嶋研究室でのちにご一緒する先輩方と出会う。
    • 09月〜 前期全く出席できなかったテニスサークル「ろっころ」に参加しはじめる。以後、2年生からは団体戦で女子ダブルスやシングルスに「ろっころ」代表として出場。修士1年生も大会に後輩達とともに出場。
    • 05月〜 「つばめグリル」タカシマヤタイムズスクエア店で初めてのアルバイトをする。ドリンク係とホール係、時々、洗い場も担当。学校が忙しくなり、2年生になる頃に辞める。
    • 04月  小嶋一浩先生による授業「空間デザイン」で刺激を受ける。授業では、高安重一先生(アーキテクチャー・ラボ)や当時TAの渡邉英徳さん(首都大学東京 准教授)と出会う。
    • 04月  学部1年生、学年の2割程度しかいない建築学科の女子たちと出会う。今でも良き仲間。「リノベ女子」003の浅井久子さんとはここで出会う。
    • 04月  東京理科大学 理工学部 建築学科 入学。野田キャンパスをはじめて見たのが身体検査の日で、いろいろと衝撃を受ける。
1996年
    • 08月  解体前の同潤会代官山アパートメントに画を描きに行く。ここでの様々な体験が今の活動の原点。私を連れて行ってくれたのは、代ゼミ造形学校の友人、玉井夕海さん。ハービー山口さんの写真集『代官山17番地』に彼女は登場する。
    • 04月〜 予備校通い。駿台 お茶の水校「東大スーパー」と代ゼミ造形学校「建築科」の2つに通う日々。月〜金は駿台で、理系受験には使わない国語・社会の授業などを抜けて画を描きに行き、土曜は代ゼミ造形学校、日曜は模試の日々。東大スーパーでは最初に“間違って”レベルが一番上のクラスに入ってしまったばっかりに、まわりは東大目指す男性ばかりの男子校状態。とても良い人ばかりで、通勤電車のもろもろの苦痛からきていた男性恐怖症は直りました。女子校との違いは笑いの声の“どっ”という低さ。初日に驚いた。
    • 03月  雙葉高等学校 卒業
1990年〜1995年 中学・高校時代
    • 1993年04月 雙葉高等学校 入学
    • 1993年03月 雙葉中学 卒業
    • 1990年04月 雙葉中学 入学
      • 姉ふたりが先に通っていた雙葉。そのような状況だと、通うべき学校は、そこ以外は考えられなく、中学受験の勉強期間は9ヶ月だったがなんとか合格。試験前日も過去問があまりできていなかったため、母がものすごい焦っていたのはよく覚えている。本人としては、間違ったポイントが途中のケアレスミスだし記述式だし、大丈夫だろうとあまり焦ってはおらず。当日は大変向いた問題がでてくれた。海外から戻ってきて受験勉強ができていない身としては、知っているかどうかがものを言う社会や特殊な解き方(経験しないとどうにもならない)がある算数は全くダメで苦労した。国語・理科は得意だった。
      • あとから、雙葉はお嬢様学校だと知る。たしかにまわりにはそのような人が多かったが、当時は、子どもなのでそのようなことは全く気にせず普通に付き合っていた。根っからのそういう人というのはそれが当たり前のことなので、自慢もしないし、割と地味にされている、とても気持ちの良い人たちだなと知る。我が家はごく普通の家。
      • 雙葉の当時の校舎が戦後建ったものではあったが、生徒が念入りに掃除をするからか、古いのに大変美しかった。私は大好きな校舎だった。トイレもピカピカにしていたため、ぞうきんを手でぱたぱたとたたき、水洗いの水を拭き取るなどしていた。トイレも教室も廊下も、毎週1回大掃除がある念入りな掃除を一生懸命やった。廊下の仕上げは今思うと、いわゆる人研ぎ(人造大理石研ぎ出し)だったと思われる。古い建物も手入れをきちんとすれば十分美しいのだなと、ココで体感する。卒業後に建て替えになり、ファサードのみが模されたことは残念なこととして自身に強い影響を与えたと思っている。修士論文にもそのことは「イメージ保存」として少し書いている。
      • 中学入学時には身長139cmと小さかった。最終的には157cmまで成長。
      • 中学・高校ではバレーボール部。毎日、朝・昼・夕とバレーボールばかりしていた。
      • 半月板が“満月”だったため、両膝の手術を行い、高校1年生は体育もバレーもできず。入院中には腕や足のない人たちと病室を共にし、車いすに乗り、様々なことを思う。整形外科病棟で萬画『サイボーグ009』初版(石ノ森章太郎)と出会う。夢中になって読み進めた。ここに置いてあることがかなりシュールだと後から思う。
      • 英語研究会にも所属していたが、あまり研究はしておらず英語の映画(しかも字幕付き)とかみんなで見ていた。文化祭の発表では英語ではなくタイ語のことを書くなど。
      • 間取り図を見て空間を想像するのが好きだったこと、美術が得意だったこと、手先が器用だったことなどから母からのススメもあり、中学3年生で東京藝術大学の建築科を目指すことに。芸大は残念ながら入れず、ご縁があったのは東京理科大学でした。
      • 授業の中では「美術」が好きで、当時制作した作品たちは今でも大事にとってある。中学3年生の時には、成績が10段階で10の評価を頂く。
      • 中学3年生で埼玉県へ引越をする。5回目の引越。通学時間は片道約40分から2時間弱へ。朝練でるとなると、朝は4時起きとかで、まるで漁師さんだなとか思いながら天気予報しか流れていないテレビを見て5時台の電車に乗っていた。始発は混んでいるし座れない。埼玉の人たちはみんな早起きだなと思った。
      • 中学3年生の時におこづかいを貯めて買った革のシステム手帳は今もなんとか現役。
      • 引越した次の年にJリーグがはじまり、浦和レッズサポーターとなる。基本的にはゴール裏。年間シート所有者。
      • 浦和レッズ・福田正博さんへ取材に行く機会を頂くが、緊張しすぎて声がでなくなる体験をする。
      • 高校2年生の夏季講習などから通いはじめた、美大受験向け予備校「代ゼミ造形学校」で苦楽を共にした素晴らしき仲間ができる。
      • 理系大学受験向け予備校「SEG」で数学の清史弘先生らと出会う。
1979年〜1989年 幼少期・幼稚園・小学校時代
      • 11歳 小学校6年生になる直前の春にタイ・バンコクから日本の東京都武蔵野市吉祥寺へ戻る。幸いにも、転校前と同じ学校・全く同じメンバーのクラスへ戻ることができた。夏には東京都三鷹市井の頭へ引越。11歳で4回目の引越。学校は変えずに越境通学のため小6からほんの少し電車通学を体験。激混みの京王・井の頭線にランドセルで毎朝乗り込む。
      • 9歳 小学校4年生の夏に父の仕事の関係でタイ・バンコクへ。バンコク日本人小学校へ通う。タイでは、毎朝見る大きな真っ赤な太陽と、毎日の山盛りのフルーツと、はっきり見える南十字星と、遺跡などをよくみにいき、お手伝いさんの実家でタイ式の結婚式に参列し、たくさんのものを見て、意識がはっきりした。
      • 何より、この世にはいろんな人種・宗教・立場・考えの人がいるということと、日本以外の国にはたいてい足でまたげる地続きの国境があることを知り、同時に日本がとても平和で素晴らしい国だということを強く実感する。タイ語が大好きで、週2回の授業は一生懸命勉強してそれなりに当時はしゃべってはいたけれども、日本では使う機会のないマイナー言語のためほとんど忘れ、今は、簡単な値段交渉くらいしかできない。
      • 小学校4年生では手芸クラブ、小学校5年生では演劇クラブ、小学校6年生では、飼育委員と合唱クラブと科学クラブに所属。
      • タイにいる頃には、テニスとアイススケートを習う。テニスは向いていたようでコーチには続けろと言われた。アイススケートは全く不向きで片足を高くあげることすらできなかった。暑い国でアイススケートとはなんとも贅沢なことだと改めて思う。
      • 水が極端に苦手だったため全く泳げなかった(もぐることもできない)が、苦手克服のため小学校3年生から水泳教室に通い、いつのまにか泳げるようになっていた。早くはないが、4種目泳げるように。
      • バンコク日本人小学校 在籍時に提出した4年生「パンダの噴水(折り紙を使用したもの)」、5年生「フェルトのお弁当箱」で賞をもらう。
      • 武蔵野市立第四小学校に在籍時に飼っていた金魚のことを書いた作文「金魚のきんたん」で賞をもらう。
      • 幼稚園では音楽教室(主にエレクトーンを習う)に通っていたが、練習が嫌いで成果がでなかっため、発表会では「うた」担当だった。その後、小学生でピアノを習うことになるが、こちらも練習嫌いで全く上達せず。先生に申し訳ないのでやめさせてもらいました。
      • 幼稚園と小学校では飼育係をつとめる。獣医さんになろうと考えていた。
      • 1歳 東京都武蔵野市吉祥寺へ引越。関町白百合幼稚園、武蔵野市立第四小学校へ通う。
1978年
    • 03月  岩手県・盛岡市生まれ。

 

■ 趣味
    • 映画鑑賞・サッカー観戦